プレゼン、面接、会議……強いキャリアを創るためのホンネ対談 おちまさとプロデュース「偉人伝心」
〜スペシャリストに学ぶ!プロフェッショナル仕事術〜

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メディアという枠を超えて活躍するプロデューサーのおちまさと氏が、“偉人”と認める方に会いに行き、技を“伝心”してもらう。第2回目の偉人は、映画監督の本広克行氏。テレビで成功を納めたあと、転身した銀幕の世界でも大ヒット映画「踊る大捜査線」シリーズを成功させた本広氏のメガホンから、いったいどんな話が飛び出すのか!?

ADからゴールデンドラマの監督に

おちまさと(以下、おち)

本広さんといえば『踊る大捜査線』(※1)が有名ですけど、昔はバラエティのADもやっていたんですよね。

本広克行(以下、本広)

もともと映画の世界に憧れてて、田舎から映画の学校に入ったんですけど、そこで「映画監督にはなれないからスタッフになりなさい」って言われたんですよ。でも、「嫌だー、汗水たらして他人の作品なんかやれない」って思ってテレビ番組の制作会社に入社して、バラエティの道に行ったんです。深夜番組のADが最初でしたね。

おち

80年代前半ですよね。ちょうどテレビが24時間放送になろうとしている時代。あの頃はいい時代でしたよね。

本広

当時のバラエティは輝いてましたからね。今や各界のカリスマディレクターとか、カリスマ構成作家になった人がたくさんいて。テリー伊藤さんなんてもう怖かった。テリーさんの編集室を覗くとADが10人くらい正座しているんですよ。そういうのを見て、「凄いな、この世界」って。

おち

当時はムチャクチャでしたよね。

本広

でもそれが「クリエイティブだ!」みたいな感じでカッコよかったんですよ。僕はよくディレクターに殴られていましたよ。

おち

確かにああいうのがカッコイイっていう時代だった。今やっていたらフツーに逮捕ですよ。

本広

当時ADで手掛けたのは『JOCX-TV2』(※2)。『IQエンジン』(※3)とかもやりましたね。

おち

ちょっとインテリの匂いがする番組をやっていたわけですね。あの頃ってコンセプト1つですごく狭くてよかったし、いい時代でしたよね。僕もそのあとに洋服の番組をやったり、お金の番組をやったり……。そういえば、『アメリカの夜』(※4)もやられていたんですよね。ハリウッドの映画の撮影方法をずっと教えていく番組。

本広

イマジナリー・ラインとは何ぞやとか、クレーンはこういう風に使えとか、編集の仕方とか……。

おち

そんなの好きじゃなかったら絶対に見ない(笑)。今はゴールデンタイムの予備軍的番組をやらないと「無駄な予算を使ってるんじゃねぇ」って話になりますけど。『アメリカの夜』のころはディレクターになられていたんですか?

本広

そうですね。この世界に入って5年くらい経って、いろんな深夜番組のADを経験したから、バラエティの前説からドラマでキュー出しまでできる、スーパーADになっていたんですよ。でも「僕は高卒だし、一生ADなんだろうなぁ」って思っていたんです。「職人ADなんてのもカッコイイかも」なんて考えたりして。そしたら、若手の編成マンたちがどんどん出世していくじゃないですか。それで、引き上げてくれたんですね。

おち

ドラマのディレクターになったのは?

本広

深夜ドラマの『悪いこと』(※5)ですね。『アメリカの夜』をやっていたなら撮れるだろうって。

おち

名作じゃないですか! フランス人のストーリーテラーが、その回のテーマをフランス語で喋る。それに日本語のスーパーが入って……予算はかかってないですけど、「この人たちはすごく考えているし、いろんな映画とかを観ているんだろうなぁ」って思っていましたよ。そういうのに影響されて、『百萬男』(※6)のときに筒井康隆さんをストーリーテラーに立てましたからね。僕は「予算がない中でやるのがホントのプロ」って言っているんですけど、若いときにそういうのっていいじゃないですか。それが何歳の時だったんですか?

本広

25歳ですね。あのころの深夜って、すぐディレクターをやらせてもらえたんですよ。

おち

早いですねー。その後はゴールデンですか?

本広

『NIGHT HEAD』(※7)。ディレクターとしては一番下っ端で、先輩たちが予算を使っちゃうので予算内におさめるために、僕がやる回はえんえん教室の中で語り合っているとか、そういうのが多かったですね。それが結構評判で、ゴールデンの『17才-at seventeen-』(※8)とか、織田裕二さんとの出会いとなった『お金がない!』(※9)をやったんです。27-28歳だったかな。

※1 1997年1月〜3月にフジテレビ系で放映された織田裕二主演の連続刑事ドラマ。スペシャルドラマや映画などスピンオフ作品も多数。「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」のセリフは有名。今までの刑事ドラマでは描かれてこなかった日常の側面が描かれ、作品全体にリアリティーを与えている

※2 1987年秋よりフジテレビが開始した深夜番組の時間帯の名称。それまでにない実験的な内容の番組を数多く開始し、深夜番組ブームの火付け役となった。『カノッサの屈辱』を始め数多くの傑作番組が誕生したこの時期は「フジテレビの深夜番組黄金期」とも称される

※3 1989年1月〜9月にJOCX-TV2で放送されたクイズ番組。知識ではなく柔軟な志向を要求される問題を集めたスタイルは、当時画期的だった

※4 1991年10月〜1992年3月にJOCX-TV2で放送された、映画撮影の技法を説く番組。主演は宝田明。フランソワ・トリュフォーの同名映画へのオマージュでもある

※5 1992年4月〜9月にJOCX-TV2で放送された連続ドラマ。人間の心の奥底に潜む悪意をリアルに描き、深夜番組とは思えない完成度と後味の悪さは語りぐさとなっている

※6 2001年4月〜9月にフジテレビ系で放送された、おちまさとプロデュースの深夜バラエティ。無作為に選んだ1人に突然100万円を手渡し、決められたルールのもと、5時間で使い切ってもらう。金の本来の意味や人間の本質を改めて考えさせられる番組

※7 1992年10月〜1993年3月にJOCX-TV2で放送された、超能力を持つ兄弟を中心に展開するSF特撮ドラマ。主演は豊川悦司と武田真治。超能力を持つことで不幸になるような、否定的な描かれ方をしたところが斬新であった。深夜番組としては異例の人気を博し、映画化やゲーム化もされた

※8 1994年4月〜9月にフジテレビ系列で放送された連続ドラマ。内田有紀、一色紗英、武田真治など当時の人気若手タレントを多数起用して話題になった。主人公(内田有紀)が7年振りに故郷に帰って来たことで、幼馴染みたちとの間に起こるさまざまな出来事を描いた友情ドラマ

※9 1994年7月〜9月にフジテレビ系列で放送された連続ドラマ。主演は織田裕二。町工場で働いていた貧乏青年が、超大手外資系保険会社にもぐりこみ、大仕事に挑戦するサクセスストーリーを描いた。このドラマで本広監督と織田裕二が意気投合し、『踊る大捜査線』につながっていった

PROFILE『Tokyo Ochimasato Land』

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