海外ではたらく!はたらくひとinterview

第1回 マイクロソフトではたらく日本人

1980年から始まったITブームを牽引し、アメリカが世界に誇るグローバル企業マイクロソフト。今回はワシントン州シアトルにあるマイクロソフトの本社で、音声認識プログラムのテスト・エンジニアとして働いている三輪さんにお話を伺った。

アメリカに来たきっかけは何ですか?

英語を磨くための語学留学です。高校時代に横浜の米軍キャンプの近くに住んでいたこともあって英語を話す機会が多く、英語はわりと身近な存在。自信満々で渡米してESL(※1)までは良かったのですが、大学に入ってビックリ。よくアメリカの大学は、「入るのは簡単だけど出るのが難しい」と言いますが、留学生にとっては入るのも大変。しかも、アメリカの大学生もみんな猛勉強していたので、僕も負けてはいられないと思いました。

アメリカでの学校生活はどんな感じでしたか?また、専攻は?

「日本ではできないことを学びたい」という理由で、当時日本では珍しかったコンピューター・サイエンスを専攻したのですが、毎日宿題やプロジェクトが山のようにあって、授業に付いていくので精一杯。とても遊んでなんていられませんでした。アメリカ人のクラスメイトと一緒にラボにとじこもって徹夜したこともありますよ。

インターンシップは経験しましたか?

卒業後、プラクティカル・トレーニング(※2)で1年間働けることになり、仕事を探し始めました。面接した3社のうち、マイクロソフトなどにスタッフを派遣しているIT専門の派遣会社に決まり、念願通りマイクロソフトに派遣されました。インターンは会社によって無給のケースもありますが、当時はITブーム。教授がよく「君たちが就職に困ることはないだろう。引く手あまただぞ」と言っていたので、自分を安売りするのはよそう、強気で行こう! と有給インターンに絞って仕事を探しました。

今の会社に就職したきっかけは?

派遣社員としてマイクロソフトで働いて約半年が過ぎた頃、日本人のテスト・エンジニアを募集していると聞き、早速応募。5人の面接官とそれぞれ1時間づつ、1日がかりの面接を経て社員雇用が決まりました。タイミングと言い、本当にラッキーだったと思います。

ただでさえビザの問題がついてまわる外国人(日本人)の就職状況は厳しいのに、プラクティカル・トレーニングで働き始めて半年後に正社員の仕事をゲットした三輪さん。しかも、プロのレジュメ・コンサルタントが存在するほど重要視されるレジュメ(職務経歴書)に、職歴がないため在学中に行ったプロジェクトを書き連ね、リクルーターに「個性がないレジュメね」と言われたこともあると言う。それでも就職が決まったのは、三輪さんの将来性やパーソナリティーのみならず、IT時代の幕開けという時代も大きいだろう。

現在の仕事内容を教えてください。

プログラマーが作った音声認識プログラムが正しく作動するかテスト(チェック)する仕事です。正しく作動しなければ原因を追求して報告し、修正されたプログラムを再びテスト。それを完成するまで繰り返します。プログラムは日本語と英語のほか、イギリス英語やドイツ語を手伝うこともあります。

働く上で感じる日米の違いは何ですか?

日本では社会人経験がないので明確には比べられませんが、僕の会社で言うと“Result Driven(結果がすべて)”という点。上司から何をどのくらいの期間でやるように指示をされたら、あとは何時に出勤しようが、ランチに何時間かけようが、すべて自分次第。言われた期間より早く仕上げたり、与えられた内容以上のことができたらプラス評価になるという感じです。
プロセスが重視される日本では、がんばっている姿を見せなければいけないところがあるけど、ここでは結果を残すことが、すなわちがんばっているということ。日本では評価される残業も、与えられた時間を超えて作業をしていると「何でそんなに時間がかかるんだ」とマイナス評価になりかねません。
また、僕の会社は特にいろいろな国の人がいてとても国際的。留学時代みたいな楽しさがある点も日本と違う点ですね。

最後に今後の抱負を聞かせてください。

テスターは僕の天職。プログラミングのスキルを上げて、ユーザーの側に立ったテスト・ツールの開発などをしていきたいです。プライベートでは、もっと妻と一緒に過ごす時間を作って旅行に出掛けたいですね。二人とも仕事を持っているので、なかなか一緒にまとまった休暇が取れないんです。

(※1)ESL……English as a Second Languageの略で、英語を母国語としない人のための英語クラス。

(※2)プラクティカル・トレーニング……学生ビザでの就労は許可されないが、在学中または卒業後に“実務研修”として期限付きで就労できるというもの(通称OPT:Optional Practical Training)。学校で学んだ分野においてのみ、実務経験を積む目的で許可されている。

インタビューを終え

運動場も完備した広い敷地内に4、5階建ての建物が2、30棟。行き交う人々の姿(とてもカジュアル)を含めて大学のようなので、「キャンパス」と呼ばれているマイクロソフトの本社。一方、オフィスは一人ひとりに4畳半ほどの個室が与えられ、集中して仕事ができるようになっている。管理されるのではなく、あくまで自己管理の世界。“Result Driven”という言葉が出てきたが、プロセスよりも結果がすべてというところに、アメリカのプロ意識の高さと厳しさが感じられた。 じつは、日本語の音声認識プログラムのテスターは、世界のマイクロソフトといえども三輪さんたったひとり。このプログラムを伴うマイクロソフト製品のすべてにかかわっていることになるわけで、「やりがいもひとしおですよ」と微笑む三輪さん。気負わず、けれど志は高く前進する三輪さんに心からエールを送りたい。

Writer Profile

Masami Suzuki

東京で編集者を勤めた後、フリーランス・ライターとして独立。「派遣の花道」(WAVE出版)を始め数冊の本を出版するも、33歳の時に「人生のブレイク」と称していきなりアメリカ留学を決意。が、渡米2年目にひょんなことから現地の日本語メディア会社に就職することになり、地元情報誌の編集長を2年半勤めた後、2005年よりフリーランスライターに。ワシントン州シアトル在住。

今週のはたらくひと

三輪 太郎  Taro Miwa

1973年、東京生まれ。高校を卒業後、語学留学のため渡米。2年生のカレッジからワシントン州ベリングハムにあるウエスタン・ワシントン大学へ転入し、コンピューター・サイエンスを専攻。卒業後、派遣社員としてマイクロソフト本社に勤務し、1年後の1999年に正社員雇用となる。趣味はゴルフ、スキー、映画鑑賞。

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