海外ではたらく!はたらくひとinterview

第2回 ナイキ本社で働く日本人

バスケットボールのマイケル・ジョーダンやゴルフのタイガー・ウッズと契約を結び、いまやファッション・ブランドとしても認知されているナイキ。今回は、オレゴン州ポートランドにあるナイキ本社でグローバル・プログラム・マネージャーを担当している渡辺さんにお話を伺った。

アメリカに来たきっかけは何ですか?

東京でアメリカ系の外資系企業で働いた際、日本企業の価値観や文化との違いもさることながら、意思決定のスピードや業務の先進性、企業活動における個人としての優秀さなどに驚かされました。そこで、「アメリカに行って彼らのビジネスの方法を学び、自分がどこまで彼らと競争できるか試したい!」と思い、アメリカ留学を決意しました。

アメリカでの学校生活はどんな感じでしたか? また、専攻は?

サウスカロライナ大学の国際経営学部の修士課程で学びました。最初のクラスは「組織行動論」だったのですが、教授や生徒の発言内容の80%が理解できず、これは大変!とアメリカ留学の浮ついた気分が一気に吹き飛びました。宿題の話をしているのは雰囲気でわかっても、隣の生徒にゆっくり説明してもらわないと何が宿題かすらわからなかったのです(笑)。
そんなレベルから始まって、人生で初めて持続的かつ本格的に勉強に取り組み、それが2年間も続いたことは自分でも感心しています。日本での学生時代とは大違いでした。その甲斐あってか、卒業時の成績は4.0満点中3.9 という好成績。こんなに良い成績を取ったのは生まれて初めてで、やればできるんだ、と勇気づけられました。

インターンシップは経験しましたか?

冷凍鶏肉の営業とコンピューター会社の財務アナリストの2つをインターンとして経験しました。冷凍鶏肉の営業は、サウスカロライナの鶏肉工場から日本の商社や食品会社への売り込み。夏休みに日本に帰り、商社など鶏肉バイヤーのプロに売り込みましたが、素人だとすぐにばれてしまい、逆にいろいろと教え込まれる始末。遠方の工場に案内されて、「アメリカもこうやるように教え込んでくれ」なんて言われてしまいました。
一方、財務アナリストの仕事はエクセルで数字を加工・分析するデスクワーク。自分自身おもしろい仕事と思っていなかったので、吸収力もあまりなかったですね。オハイオ州というアメリカ中西部に6カ月住むことができて、南部のサウスカロライナとずいぶん違うな、と地域の違いを肌で感じることができたのが一番大きな収穫でしょうか。

今の会社に就職したきっかけは?

東京で経営コンサルタントをしていた際、担当した海外プロジェクトがナイキでした。それでポートランドにあるナイキ本社にコンサルタントとして出入りするようになり、「ポートランドという街やナイキのキャンパスはなんて素晴らしいんだろう。ここなら住んでみたい」と思うようになったのです。同時に、そのプロジェクトでの活動を通してナイキ側から認められ、正社員として働かないかというオファーを受けました。経営コンサルタントも楽しい仕事だったのでかなり未練がありましたが、グリーンカードが取れる人生に一度のチャンスだと思って決断しました。

「キャンパス」というと大学を想像するかもしれないが、ここでいうキャンパスは前回のマイクロソフト同様、さまざまな施設によって構成され、大学のような雰囲気をかもし出していることからこう呼ばれている。ナイキのキャンパスには「ナイキ・レイク」という湖まである。ちなみに、ナイキはオレゴン大学の陸上部コーチとランナーによって、ランニング・シューズの輸入販売から歴史が始まった。筆でサッと描いたような独自のロゴ・マーク『Swoosh』は、コカ・コーラに次いで世界第2位の認知度と言われている。

現在の仕事内容を教えてください。

アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど、ナイキが事業展開している各地域のセールス部門の情報プロセスを本社の視点から改善していく仕事で、常時3〜5の複数地域にまたがるプロジェクトを管理・運営しています。例えば、現在進行中のプロジェクトには、全世界のセールスマネージャー、セールス担当者が共有できるデータベースを構築・導入する、というのがあります。また、アジア5カ国への基幹システム導入に伴う業務以降を各国のセールス部門と協調して進めています。

働く上で感じる日米の違いは何ですか?

一般的に、日本企業は組織で動き、米国企業は個人の裁量が大きい、と感じます。例えば、米国企業では担当者が替わると、その業務にかかわる方向性や進め方なども一緒に変わると周囲も想定します。一方、日本企業は担当者の変更による周囲への影響はあまりないだろうと想定されますね。
また、部長、課長といった"職位"が重要視される日本企業に対して、米国企業ではアナリスト、エンジニアといった"職種"における能力の方が重要視されるといっていいでしょう。これは給与面にも明確に現れていて、アメリカでは管理職より給与が高い専門職も珍しくありません。
企業行動の違いを見ると、日本の大企業と米国東海岸・中西部の企業は似ていて、一方日本の中小企業と米国西海岸の企業が似ているように感じます。

最後に今後の抱負を聞かせてください。

キャリアの面では日本とアメリカの両国で通用するリーダーシップを身に付け、そして企業経営を行えるガッツを養いたいと思っています。そのためにできるだけ多くの人とさまざまま局面を経験して、自分の幅を広げたいですね。

インタビューを終え

「学生時代からさまざまなアルバイト、職業を経験したいと思っていた」と言う渡辺さん。その言葉どおり、現在のセールス部門のグローバル・プログラム・マネージャーという職に至るまで、現場監督や情報システム、経理・財務、サプライチェーン、経営コンサルタントなどの職を体験したそうだ。根気ややる気の欠如による転職の繰り返しは明らかにキャリアにマイナスだが、渡辺さんの場合、会社や職種名は変わっても、情報収集・分析、問題解決にあたるといった共通点があるのでプラス。それらの過去の幅広い体験がすべて現在に役立っているのだ。

Writer Profile

Masami Suzuki

東京で編集者を勤めた後、フリーランス・ライターとして独立。「派遣の花道」(WAVE出版)を始め数冊の本を出版するも、33歳の時に「人生のブレイク」と称していきなりアメリカ留学を決意。が、渡米2年目にひょんなことから現地の日本語メディア会社に就職することになり、地元情報誌の編集長を2年半勤めた後、2005年よりフリーランスライターに。ワシントン州シアトル在住。

今週のはたらくひと

渡辺 一夫  Kazuo Watanabe

横浜生まれ。慶応大学法学部卒業後、現場監督やシステム・アナリストとして日本企業と外資系企業で約4年間勤務。語学とビジネスを学ぶためにアメリカ留学を決意し、92年に渡米。サウスカロライナ大学の国際経営学修士課程修了後、帰国して東京の経営コンサルタント事務所へ入所。その後オレゴン州ポートランドにあるナイキ本社へ入社が決まり、97年に再渡米。財務マネージャー、事業企画シニア・マネージャ、プロジェクト・ディレクターを経て、現在のグローバル・プログラム・マネージャーに就く。趣味はテニス、旅行、近所の散歩。

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