海外ではたらく!はたらくひとinterview

第3回 アメリカではたらく!を実現させた日本人

アメリカで生活したい! 働きたい! と思っている人は少なくないはず。でも実際に行動に移し、そして実現できる人はほんのひと握り。今回は日本でインターネットを使って就職活動をし、「アメリカで生活したい」という夢を実現させた、グラフィックデザイナーの早川さんにお話を伺った。

アメリカに来たきっかけは何ですか?

高校時代の夏休みにアメリカでホームステイをして以来、いつかアメリカで生活したいという気持ちがずっと頭の片隅にあったんです。しかし、その後明確な目的もないまま大学(英文科)に進学。それなりに楽しい学生生活を送っていましたが、将来を考えるようになり、日々の授業内容に疑問を感じるように。「英語は専門技術じゃない。何か言語を超えた専門技術を身につけたい!」と思うようになったのです。
その後、親を説得して大学を中退し、デザインの専門学校に入学。在学中に情報誌出版社でDTPオペレーターとしてアルバイトをしていたのですが、卒業後そのまま就職することになりました。
じつを言うと就職した当初も2〜3年働いてお金を貯め、留学でもしようと考えてたんです。相変わらずアメリカに住みたい気持ちをずっと持ち続けていたので。しかし、思いのほか仕事が楽しく、職場環境も良かった。自分の可能性が試せる会社で働ける私はラッキーだと毎日深夜残業するほど仕事にのめり込み、気付いたら20代も残りわずか。体力が残ってるうちにやっぱりアメリカに行こう! と決めたのが29歳の時でした。

「言語を超えた専門技術」としてデザインの道に進んだ理由は?

もともと絵を描いたりするのが好きで、大学へ進学する時も大好きな美術系か、得意な英語系か迷ったんです。結局、英語を選択したのですが、学生時代にさまざまなアルバイトを経験して開眼。それまでの私にとって「芸術で食べていく」ことは画家や写真家、いわゆるアーティストになることだったのですが、社会に出てみて世の中に“商業としてのデザイン”が溢れていることに気づいたんです。街の看板、駅のポスター、新聞の折り込みチラシなどを「すごくカッコイイ」とか「私だったらこう作るのにな」という目で見るようになったのを覚えています。ド素人のくせにね(笑)。
それを機にデザインの道に進もうと決め、数あるデザイン学校の中から一番実社会で役立ちそうな教育方針の学校を選びました。

日本にいながらどのようにアメリカの会社へ就職活動しましたか? また、今の会社に就職したきっかけは?

就職活動は、とにかくインターネット上の求人広告をマメにチェック。主要な現地メディア会社のクラシファイドページ(求人広告ページ)を最低でも1週間に1度は必ず目を通しました。ちなみに現在の会社をみつけたのは、US フロントラインのクラシファイド(http://www.usfl.com)。デザイナーの募集広告をみつけてメールで履歴書を送付。その後、作品を送るなどEメールでのやりとりが何度か続き、最終的に社長との電話インタビューで採用が決まりました。履歴書を送付してから採用通知を受け取るまでは1週間くらいでした。

アメリカで就職活動する際のポイントは?

絶対に言えるのが、ビザについてよく知ること! 私も当初ビザについて何も知らずやみくもに履歴書を送りまくったのですが、なしのつぶて。アメリカで就職なんてやっぱり無茶なのかと一度あきらめかけましたが、ビザのことをいろいろ調べて自分が取得できそうなビザを書き添えた途端に感触が変わり、数社から「興味がある」という返信が。最終的にはビザに触れた履歴書を4社に送り、うち3社から正式なオファーをもらいました。
ちなみに、現地の人材派遣会社への登録も考えましたが、就労可能なビザを持っていなかったのでそれはすべて断られました。

日本人がアメリカで働く際にかならずついてまわるのがビザの問題。グリーンカード保持者以外は、アメリカで働く際に就労可能なビザが必要で、それには雇用主のサポートが不可欠(雇用主なしでビザの申請・取得はできない)。逆に、採用する会社側にとってみると、いくら採用に値する人物と思っても本人にビザを取得する資格が備わっていなければサポートできない(=採用できない)のだから、早川さんのように各ビザの取得条件や資格を自分自身でよく調べ「私には○○ビザに申請する資格がある」と添えるのが大きなポイントになる。

現在の仕事内容を教えてください。

ワシントン州シアトルにある日本語のメディア会社で、コミュニティー誌(月刊)、ガイドブック(年刊)、一般広告などのデザインをしています。デザイナーは社内に私ひとりなので、とても責任のある仕事です。

働く上で感じる日米の違いは何ですか?

日本で勤めていた会社が先進的で純日本風な職場ではなかったし、規模も違うので比較するのは難しいですが、日米の違いはあまり感じませんね。例えば常に時間を意識して仕事をすることや、単独ではなくチームでプロジェクトを進めていくことも同じだし、同僚は日本人で日本語を使っている、という点も同じ。あえて言えば、日本は祝日が多かった、かな。

最後に今後の抱負を聞かせてください。

ビザが失効してしまう5年後までに“アメリカだからできること”にどんどん挑戦していこうと思っています。例えば、アフター6の時間を利用して大学の社会人向けクラスに通ってウエブのことを勉強したり、テニスやゴルフをしたり……。日本では残業しない日なんてないほど忙しかったので、アフター6に自分の時間が持てるようになったのは、じつはアメリカに来てからなんです。そのほかの具体的な長期計画はありません。「日本を離れて日本の良さが身にしみる」って本当。日本もアメリカも両方好きだし、それぞれ良いところも悪いところもある。なので私は「絶対いつか日本に帰る」とも「何が何でもアメリカに残る」とも考えていないんです。もしかしたら、次は中国にでも住んでるかも。いったい私はいくつになったら落ち着くんでしょうね(笑)。

インタビューを終え

学生時代からの夢「アメリカで生活する」を実現するため、大手出版社での職を捨てアメリカに渡った早川さん。当初は1年半有効のJ-1(研修生)ビザを取得しての渡米だったが、働きぶりが認められて3年間有効(その後さらに3年間の延長も可能なので計6年間)のH-1B(専門職)ビザに切り替わったそうだ。
早川さんはシアトルで日本語情報誌(コミュニティー誌)を発行する会社に勤めているが、中都市以上のアメリカの都市であれば、たいていこのような日本人向けの日本語情報誌があり、それを発行している会社がある。こういう会社では「日本人であること」が武器になるので、編集、ライター、グラフィック・デザインなどのキャリアがあり、アメリカで働きたいと思っている人には狙いどころだ。
ともかく、アメリカで夢を実現させ、仕事漬けだった日本での生活に比べて人生をエンジョイすることも学んだ早川さん。今後益々の活躍を期待したい。

Writer Profile

Masami Suzuki

東京で編集者を勤めた後、フリーランス・ライターとして独立。「派遣の花道」(WAVE出版)を始め数冊の本を出版するも、33歳の時に「人生のブレイク」と称していきなりアメリカ留学を決意。が、渡米2年目にひょんなことから現地の日本語メディア会社に就職することになり、地元情報誌の編集長を2年半勤めた後、2005年よりフリーランスライターに。ワシントン州シアトル在住。

※掲載されている情報は2005年現在のものです

今週のはたらくひと

早川 優美子  Yumiko Hayakawa

1973年愛知県生まれ。椙山女学園大学文学部英語英米文学科を中退し、広告デザイン専門学校グラフィックデザイン科に入学。96年3月に卒業後、在学中にアルバイトをしていたリクルートコンピュータパブリシング(現リクルートメディアコミュニケーションズ)に入社。制作ディレクターとして広告制作に携わる。しかし、アメリカで働きたいという夢を捨て切れず2003年1月に退社し、本格的に就職活動を開始。ワシントン州シアトルにある日本語メディア会社JEN,Inc.に就職が決まり、同年3月にJ1ビザで渡米。現在のビザ・ステイタスはH1ビザ。趣味は料理とゴルフ。

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