海外ではたらく!はたらくひとinterview

第4回 ワシントン州日米協会ではたらく日本人

国家公務員から一転。「他の世界や国を見てみたい!」と海外インターンシップ・プログラムに申し込み、渡米。現在ワシントン州にある日米協会で、子供達に日本語と日本の文化を伝えるプログラムのコーディネーターをしている新井さんにお話を伺った。

アメリカに来たきっかけは何ですか?

どんよりした理不尽な国家組織の中で働く国家公務員の生活から離れ、心身共に健康になりたかった。性差別のない国で働きたかった、それに尽きるような気がしますね。いつしか「他の世界や国を見てみたい」と思うようになり、海外でインターンシップをするプログラムに登録しました。

日本にいながらどのようにアメリカの会社へ就職活動しましたか? また、今の会社に就職したきっかけは?

あくまでインターンシップなので就職とは少し異なりますが、インターンシップ・プログラムを通して自分の希望にあった会社数社とコンタクトを取り、その中にワシントン州日米協会がありました。仕事内容は、アメリカの子供達に日本語や日本の文化を伝えるプログラム『ジャパン・イン・スクール』のコーディネーション。ちょうど英語を習っている小学生の姪が「外国語を習うのは新鮮でおもしろいよ!」と活き活きしているのを見て、「人に喜ばれる仕事をしてみたい」と思っていたので、まさに希望通り。早速履歴書を送付。電話面接を経て採用が決定しました。電話面接は英語と日本語半々でした。

採用が決まったポイントは何だと思いますか?

プログラムに対する私の熱意と意欲ではないでしょうか。電話で話したのは20分くらいでしたが、表情が見えない電話面接のデメリットをカバーしようと、とにかく自分の気持ちを一生懸命に伝えました。この仕事に必要な『自分で計画し積極的に行動すること』は今までやってきましたし、秘書の経験からさまざまな人と話すことに慣れていたことも評価されたと思います。

J-1(研修生)ビザで渡米した新井さん。前回紹介した早川優美子さんのように、自分で仕事先を探してビザの手続きをするほか、新井さんのようにインターンシップや留学会社(営利団体)を通して道を切り開く方法もあるのだ。
J-1ビザの有効期間は1年半だが、勤務先で働きぶりが認められ、本人と雇用主が希望することでその後H-1B(専門職)ビザなどに切り替えられるケースは少なくない。なので、まずは比較的容易に取得できるJ-1ビザで渡米し、アメリカで〔長期間〕働く足がかりにするのもひとつの方法だ。

現在の仕事内容を教えてください。

『ジャパン・イン・スクール』は小学生向けと高校生向けの2つのプログラムがあります。
コーディネーターの仕事内容は、学校を訪問して子供達に日本語や日本文化を教えてくれるボランティアの募集・ワークショップ(講習会)の開催・指導、地元の学校や図書館などでの広報活動、依頼を受けた学校とボランティアのマッチングなど。
授業で使う日本の小道具を揃えたり、ボランティアの方々と学校を訪問するのも重要な仕事。授業終了後には学校の先生やボランティアの方からフィードバックを受け、今後のカリキュラムの参考にします。
最初から最後までほぼ一人でプログラムの運営と実行に携わるのは責任があるのと同時に、大きな充実感と達成感があります。

働く上で感じる日米の違いは何ですか?

職場環境が以前の職場とまったく異なるのに驚きました。日本ではお茶くみは当然、灰皿交換やごみ捨て当番まで女性の仕事でしたが、ここでは自分のことはすべて自分でやるのが鉄則。ムダなおしゃべりや残業が一切なく、頭をすばやく切り替え、仕事も家に持ち帰りません。
また、迅速な結論と結果ありきというところも。“努力する姿勢”が評価される日本では、結論や結果を先に述べるスタイルが未だ浸透されていない。“結果がすべて”というところに、仕事に対する能力の注ぎ具合に強弱がつく・・・・・・ここに日米の大きな違いがあると思います。とはいっても職場の人たちの人柄がカリカリしているわけではなく、みんな気さくでフレンドリー。仕事以上に家族や家庭を大切にする姿勢も見習いたいです。
一方、生活面においては、渡米してまだ2カ月なので不慣れなことがたくさん。例えば、カスタマサービスの対応の差。アメリカのカスタマーサービスはのんびりしていて、日本に比べてちょっといい加減ですね(笑)。

最後に今後の抱負を聞かせてください。

インターンシップ期間である1年間のうち、1/6が終了しました。アメリカでは9月から新学期が始まり、『ジャパン・イン・スクール』のプログラムも本格的に稼働してきました。毎月、自分なりに目標を決めて仕事に取り組んでいるのですが、10月の目標は『食欲の秋・読書の秋・日米協会の秋』ということで、全力的にボランティアの方々と学校訪問する予定です。
2006年8月に帰国しますが、日本では学校教育の勉強をしたいと思います。大学で教育学を専攻して十分な専門知識を習得し、数年後に再び、今度は語学を教える側としてシアトルに戻ってきたいです。

インタビューを終え

安定した公務員の仕事に見切りを付け、新しい仕事と共にアメリカに飛び出した新井さん。「以前の仕事を続けていたら良かったかもと思ったことは1度もなく、辞めて本当に良かった。今は何かを“やらされている”のではなく、すべてにおいて“自分からやっている”という感じ。それによる充実感をひしひしと感じています」と顔を輝かせる。 知らない世界での新しい挑戦――それに向かって突き進んでいる新井さんは、1年後ひと回りもふた回りも大きくなっているに違いない。

Writer Profile

Masami Suzuki

東京で編集者を勤めた後、フリーランス・ライターとして独立。「派遣の花道」(WAVE出版)を始め数冊の本を出版するも、33歳の時に「人生のブレイク」と称していきなりアメリカ留学を決意。が、渡米2年目にひょんなことから現地の日本語メディア会社に就職することになり、地元情報誌の編集長を2年半勤めた後、2005年よりフリーランスライターに。ワシントン州シアトル在住。

今週のはたらくひと

新井 直子  Naoko Arai

1971年、埼玉県生まれ。法政大学法学部法律学科を卒業、建設省(現:国土交通省)に入省。人事、秘書、会計、建設統計など、さまざまな部署を体験。自分の希望とは違う仕事や将来性に不安を感じて完全退職。海外でインターンシップをするプログラムに参加し、シアトルの『ワシントン州日米協会』での仕事が決定。2005年7月にJ-1ビザで渡米。日本語と日本の文化を伝える『ジャパン・イン・スクール』のコーディネーターとして働いている。趣味は茶道、散歩、掃除。

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