海外ではたらく!はたらくひとinterview

第1回 韓国映画を現地で支える日本人スタッフ

日本でも急速にファンを増やしている韓国映画。作品の高い完成度や俳優の迫真にせまる演技などその魅力はつきない。韓国映画躍進の背景には国を挙げての映画産業促進政策がある。今回は、韓国映画の発展のために作られた公立の映像メディアセンターで働く日本人女性、杉本あずみさんにお話をうかがった。

韓国に来たきっかけは何ですか?

日本でも映画を勉強してたんですが、アジア映画がもともと好きだったのでアジア映画界で仕事をしたいと思って日本を出ました。はじめは香港もいいなと思っていたのですが、ちょうど韓国映画が日本で上映され始めたのと、日本の学校で韓国映画をとりあげたドキュメンタリーを見て、感動したのが韓国に決めたきっかけです。そのドキュメンタリーで印象に残ったのは、「車を一台売るよりも映画を一本作る方が外貨獲得になる」という国家政策の強いメッセージでした。

韓国語はどこでマスターしたんですか。

ワーキングホリデーの一年間で韓国語を身につけました。韓国に来たばかりの頃はアンニョンハセヨ(こんにちは)とカムサハムニダ(ありがとうございます)くらいしかできなかったんですが、日韓交流の場になっている喫茶店でアルバイトをしながら、言葉を覚えました。喫茶店でのいろいろな人との出会いも貴重なものでした。韓国語ができるようになってくると、日本語を教えたり、芸術関係のものを翻訳をしたりという機会も増えました。

インターンシップは経験しましたか?

映画関連の勉強ができる大学をさがして、ソウル郊外のソウル芸術大学というところへ入学しました。専攻は配給企画プロデュースですが、専攻に縛られず、さまざまな勉強ができたのはよかったです。特に、授業の一環でインターンシップ制度がありました。第9回プサン国際映画祭で日韓中三カ国の映画製作者フォーラムのインターンシップと韓国の映画制作会社でのインターンシップを経験しました。映画制作会社でのインターンシップは映画制作の現場が見られ、また働く人たちのアットホームな関係に韓国ならではのものを感じました。ただ、昼夜を問わない忙しい働き方でしたね。

映像メディアセンターのある美術館のカフェでインタビューをしていると、彼女のケイタイが鳴った。何とすぐ隣のテーブルにたまたま座っていた大学の男友達が電話してきたのだ。久しぶりの再会を喜び、流暢な韓国語で近況を伝える様子を見て、杉本さんのバイタリティと抜群の語学センスを確認できた。大学でも職場でも外国人は自分一人という環境の中で多くの友人を作り、自らの道を切り拓いてきたに違いない。郊外にある大学に通うのが大変だろうと下宿を出て、まだ恋人の関係だった現在の夫の実家に居候を始めたという話にも驚いた。韓国では結婚前の同棲(しかも実家の家族と同居!)などありえないほど儒教精神が根強く残っているからだ。彼の家族に娘のように迎え入れられ、幸せそうな杉本さんだった。

今の会社に就職したきっかけは?

もともと大学の同期が二人就職していて、欠員が出たと言う話を聞き、紹介してもらいました。日本人ということは話さずに紹介したようで、実際に会ったときに大変驚かれたのを覚えています。入社試験はなく、面接を受けて決まりました。ですから、特に日本人を採用しようと思っていたわけではないのですが、日本語ができるスタッフがいなかったので、韓国語が話せる日本人ということで決まったようです。

映像メディアセンターはどんなところですか。また、現在の仕事内容を教えてください。

韓国では放送メディアの自由と独立を保障する法律が2000年に施行され、国民も映像表現が自由にできるようになりました。しかし、映像を撮るためには機材や技術が必要です。政府はそうしたニーズに応えようと映像メディアセンターを設立しました。韓国映画育成のために、韓国独立映画協会と共同運営しています。センターでは映画分野専門家育成のためにプログラムを開講したり、インディーズ映画祭を開催したりしています。わたしは制作支援部で機材の貸し出しや映画祭の運営などを担当していますが、日本から訪問した人の案内や通訳などもしています。日本でも市民に開かれたセンターをつくりたいという人たちが見学に来たり、運動の一環で映像を制作している障害者団体や女性団体が韓国と交流を求めて訪ずれて来たりもします。

働く上で感じる日韓の違いは何ですか? また、勤務上大変なことは?

日本でも働いたことがありますが、韓国のほうが職場の雰囲気や人間関係がアットホームで温かいように思います。年上の人が年下の人をかわいがったり、年上の人をオンニ、オッパ(お姉さん、お兄さん)と呼んだりして距離が近いですよね。日本は遅刻など時間に厳しいですけれど、韓国は多少のことはケンチャナヨ(大丈夫)ですまされたりします。このセンターは休みなしで夜も開放されているので、スタッフは交替制勤務なんです。それで平日に休みがあったり、半日で終わったりするのはうれしいです。でも、休日出勤でサラリーマンの夫と週末いっしょに休めないこともあります。仕事上で苦労しているのは電話の応対です。韓国語の発音は難しいので、人名など正しく聞き取れないことがあります。

最後に今後の抱負を聞かせてください。

韓国の人にいい日本映画を紹介したいです。日本映画が解禁されて間もないので、もっといろんなジャンルの映画を観てもらいたいです。それから、今は韓国映画、日本映画、中国映画とばらばらに動いていますけど、アジア映画という一つのカテゴリーで世界の映画市場にもっとアピールしていければと思います。日本も韓国の映画産業ビジネスのノウハウを学ぶといいと思うんです。日本って映画でお金儲けを語ってはいけないような雰囲気があるので…。将来的にはやはり映画が好きなので、韓国や日本だけではなくていろいろな国を訪れて素晴らしい映画を観て回りたいです。韓国人の夫と二人で他の国にも暮らしてみたいです。

インタビューを終え

ソウルの中心、光化門(クァンファムン)にひときわ目を引く建築物がある。ソウルの有形文化財にも指定されている東亜日報の社屋だった建物だ。現在は脇にガラス張りの空間が拡張され、イルミン美術館となっている。映像メディアセンターはこの建物の5階にある。都心の交通の便もよく、アーティスチックな建物に市民のための映像センターがあるというだけで、韓国政府がどれほど映画育成に力を入れているかがわかる。杉本さんは映像メディアセンターでたった一人の外国人だ。公的機関への外国人の就職は難しいが、杉本さんの韓国映画への情熱と行動派のバイタリティが高く評価されたのだと思う。日本での韓国映画ブームも彼女のような人材を必要としている。これから彼女の活躍舞台は無限大に広がっているという印象を受けた。

Writer Profile

Kaya Tabata

1991年より韓国在住。梨花女子大大学院女性学科修士課程卒業。国際交流基金ソウル文化センター、オープンサイバー大学で翻訳を教える。子どもの育児環境を求めソウル郊外へ引っ越し、週の半分は自宅で翻訳やエッセー執筆をしている。

今週のはたらくひと

杉本 あずみ  Azumi Sugimoto

映像メディアセンター
製作支援部
1979年、神戸生まれ。大阪ビジュアルアート専門学校を卒業後、日本で映画照明会社に就職する。その後、始まったばかりのワーキングホリデー制度を利用し、韓国へ。1年間、喫茶店などでアルバイトをしながら、韓国語をマスターし、ソウル芸術大学へ入学。配給企画プロデュースを専攻。卒業後、韓国人男性と結婚、2005年3月より映像メディアセンター制作支援部で働く。趣味は映画鑑賞、ネイルアート、落書き。

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