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清渓川5.8キロ 澄んだ小川としてよみがえる

ソウル都心を貫通する清渓川(チョンゲチョン)が再び流れ始めた。暗闇に葬られていた清渓川がその名の通り清く澄み切った河川としてよみがえり、明るい陽光のもと姿を現したのだ。

中央日報

【用語説明】

ライターコメント

去る2003年7月、ソウル都心の高架道路が通る街で一斉に工事は始まった。昔流れていた川を復元するというのだ。清渓川(チョンゲチョン)がコンクリートで覆われ始めたのは1937年、日本の植民地時代のことだ。その少し前の写真を見ると、まだ川で洗濯をしたり、子どもたちが遊ぶ姿が見られる。日本は植民地統治の一環として街に路面電車を走らせ、近代的な街を建設していく中で、庶民が暮らす清渓川の覆蓋を決めた。川は姿を消し、辺り一帯は商店や工場、卸売り問屋などが軒を連ねる街となった。

植民地解放後も、地名だけは清渓川と呼ばれ続けたが、街には人と車があふれ、高架道路が空を覆い、誰もがそこに川が流れていたことを忘れていた。長い年月が過ぎ、ソウルは人口1000万の国際都市として発展した。川の復元。その大胆な発想にはじめソウル市民は驚いた。ただでさえ慢性的な渋滞に不便をこうむっているのに、通行を遮断し工事を始めることへの不安の声も上がった。しかし、ソウルはさらなる未来の姿を求め、環境と生態系の復元、そして失った歴史を取り戻すことを選んだ。

長かった工事もこの秋には完了する。試験的に水を流したこの日、ニュースは一斉にその画像を流し、人々は感慨深げに見守った。都心に再び戻ってくる川は、殺伐とした人々の暮らしと心をゆとりあるものへと変えてくれるだろう。

Writer Profile

Kaya Tabata

1991年より韓国在住。梨花女子大大学院女性学科修士課程卒業。国際交流基金ソウル文化センター、オープンサイバー大学で翻訳を教える。子どもの育児環境を求めソウル郊外へ引っ越し、週の半分は自宅で翻訳やエッセー執筆をしている。

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