“日本初”のプロスポーツ選手エージェントが語る 年収アップのための「給与交渉術」 第1回 ヤクルト・古田敦也編(3/4)

古田の代理人になった真の理由

代理人という制度は、明治時代にできた民法の中にもきちんと規定さているので、それ自体が否定されることはないと思っていました。問題は、そのやり方です。

ヤクルトの選手の間では、「一斉蜂起でやったらいいじゃないか」と意見もあったんですが、当時の選手はみんな1年契約だったので、代理人を立てたことがきっかけで、球団から「必要ない」と言われたら終わりです。

そこで、一斉蜂起方式ではなくて、チャンピオン方式で行こうと。まずは誰か1人だけが先陣を切って交渉に挑んでもらうことにしました。選定の絶対条件は、「絶対にホサれない選手」であるということ。そして、物事をきちっと把握して先行きを見通すことができて、かつ将来野球界の中核になっていける選手ということでした。

そこで一番ふさわしかったのが古田君だったんです。入団3年目くらいで、その年の成績がすごく良かったし、“野村監督の秘蔵っ子”なんて呼ばれていましたからね。

古田の「問題意識」に火がつくきっかけに

テレビなどを通じてイメージできる通り、古田君は非常に頭が良くて、交渉能力もありました。だから、年俸交渉においても、僕の力なんか必要なかったですね(笑)。それでも代理人をつけることにしたのは、「ここは、これからのみんなのために一肌脱ごう」という“男意気”からです。

ただ、日本のプロ野球界で初めて代理人を立てたことで、古田君自身の問題意識が養われたというのは間違いなくあるでしょうね。プロ野球選手会の会長としてあれだけの活躍をしたのも、もちろん彼の資質や、キャッチャーというポジションとの親和性もありますが、若い頃に代理人を立てたことが何らかの影響を与えたと思っています。

実際、僕が球界で初めて代理人になった当時は、球団の方から「そういう弁護士とは付き合ったりするな」なんていうお触れが回ったりして、代理人ブームも一回しぼんでしまったんですが、古田君がプロ野球選手会の会長になってから、代理人制度が再び動き出しましたからね。

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