海外キャリアの歩き方
世界各国で頑張る日本人ビジネスパーソンのキャリアリポートをお届け。文化も慣習も違う海外で働く人々のパワーを感じ、アナタのシゴトに生かそう! 第3回 南アフリカ共和国 中地 明子さん

南アフリカ共和国南アフリカで世界を相手にSOHO
ヒトコブラクダのように一歩ずつ着実に歩む

 外国語大学を卒業したあと、世の中に流通するすべてのものを扱っている会社で、色々なことを勉強したいと大手商社に就職した中地明子さん。しかし、仕事を続けるうちに、どこでも通用する専門性のあるクリエイティブなスキルを持ちたいと思い始めた。

「かねてから好きだったデザインの仕事に転職するため、専門機関で本格的に学ぼうと考えたんです。でも、日本ではなかなか満足のいく条件を満たすところがない。そこで、英語が得意だったこともあり、米国留学を決心しました」

 2000年にカリフォルニア・サンノゼ留学。留学先の講師に自身のデザインを気に入られ、卒業後に講師が営むデザイン事務所two fish designに入社した。「グラフィックデザインだけでなくアートを使った社会活動にも貢献していたこの職場で、仕事に対する情熱を学びました」と語る。しかし、自分のグラフィック作品が展示されていたカフェの常連客だった英国出身の医学者・アレックスとの出会いが、中地さんの人生をさらにグローバルに展開させることになる。

「パートナーのアレックスは、ちょうど結核の研究のため米国にきていたんです。南アフリカでのフィールドワークもしていた彼と出会い、そのまま活動が英国や南アフリカへと(笑)」

 アレックスの帰国に伴って渡英。ビザの関係で就労が難しかったため、2003年に自分でデザイン事務所を設立した。2005年より彼女はアレックスと、南アフリカ第三の都市・ダーバンに住み、デザインの仕事をSOHOで行っている。
中地 明子さん
PROFILE

dromedary DESIGN
代表 グラフィックデザイナー

中地 明子さん(37歳)

1968年和歌山県生まれ。大学卒業後、大手商社に就職するが、デザインを勉強するために2000年渡米。卒業後、サンノゼのデザイン事務所で働くも現地で知り合いになった英国出身のパートナーの帰国に伴い渡英する。2003年英国にて、デザイン会社dromedary DESIGN を設立する。2005年より、パートナーの仕事の関係で南アフリカに移る。

中地 明子さん

「時には自分で撮影も。自分でできるところはしてしまう」と中地さん

「仕事の命題はお客様のビジネスを、デザインによって、より鮮明にイメージさせること。お客様のほとんどが、新しく商売を立ち上げた人たちで、欧州、米国、日本と世界各地に広がっています。でも、打ち合わせはメールなどでできますし、ブロードバンド環境さえ整っていれば、デザインの仕事は場所を選ばずにできますから。あと、一人でコンピューターに向かってこつこつ仕事をすることがまったく苦にならないんですよね」

 今まで日本、米国、英国、南アフリカと移住してきた中地さん。南アフリカは、生活してきた中でもっとも “とまどい” を感じる国だと言う。

「例えば、貧富の差。南アフリカ人の中には、私とアレックスが2〜3回の食事で使ってしまうお金で、一家を1カ月支えなくてはいけない人もいます。そんなとき、自分たちがどうして裕福で、彼らが貧しいのか、と悩みます。でも自分の環境を彼らに合わせることが、この問題を解決することだとは思いません。自分の胸にあるこういった疑問をいつまでも持ち続けて、自分が何をすればいいのか考えていきたい」と語る。日本にいるだけではわからない、その国ならではの現実である。

「悩むこともありますが、つらくはありません。だって、ロンドンとか東京にいたら、思いもしなかったことを、ここにいることで教えてもらえるんですから」とやさしく微笑んだ。

 中地さんのデザイン会社の名前は、dromedary DESIGN 。訳せば、“ヒトコブラクダデザイン”という名の由来を、「ヒトコブラクダのゆっくり歩んでいくイメージが自分にピッタリ」と説明する。きっと、彼女はアフリカの持つさまざまなパワーを吸収しながら、ヒトコブラクダのようにゆっくりと着実にデザイナーとしての力を磨いていくのだろう。

取材・文・写真/吉村峰子

ここが困った海外生活

 南アフリカもインターネットはブロードバンド環境。だけど、南アフリカテレコムの対応にはイライラしましたね。引っ越してきた当初、最大の仕事は、この南アフリカテレコムとの交渉といってもいいくらい。「申し込めばサービスを受けられる」というルールがまったく通用しないんです。電話をかけて担当者が出るまで30分待たされることなんてザラ。受話器を耳に当てたまま昼寝してたこともありました。それでも技術者はやってこない。結局、「顧客困り度レベル」があって、私は最高レベルの5に達成していなかったと判明! それはもう、お涙頂戴の話をするなどいろいろ手を打ちました。彼らの上司の電話番号まで手に入れて、“困り度”を最高レベルに上げましたよ。

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