海外キャリアの歩き方
世界各国で頑張る日本人ビジネスパーソンのキャリアリポートをお届け。文化も慣習も違う海外で働く人々のパワーを感じ、アナタのシゴトに生かそう! 第9回 イタリア共和国 山本祐美子さん

イタリア共和国度胸と明るさで道を切り開く
“たたき上げ”の同時通訳者

 イタリアで数えるほどしかいない日伊同時通訳の若手として、国際会議やヴェネツィア映画祭などで、最近、活躍がめざましい山本祐美子さん。

「通訳の仕事は前からしていましたが、それ1本で食べていけるようになったのは、ここ5年ぐらい。同時通訳をやり始めてから、通訳としての仕事の幅がぐんと広がりました」

 高校を卒業してすぐに渡航。今やイタリア暮らしも17年という山本さんだが、意外にも、最初の渡航先はイタリアではなく、ドイツだった。

「ドイツオペラのファンだった父の影響で、私も小さい頃からドイツ語に親しんでいました。高校を卒業後、ドイツ語をもっと勉強したいと、ミュンヘンに留学したんです」

 ミュンヘンではドイツ語検定試験合格を目指して勉強。1年半ほどでその目的は達成できたが、肝心のビザが切れてしまった。ちょうどその頃、イタリアのヴェネツィアにボーイフレンドができた。しかも当時のイタリアの政策により、比較的簡単に労働ビザまで取れる。それなら、ということで、山本さんはヴェネツィアに居を移すことになった。

「最初はブティックに勤めていました。でも、6〜7年経つと、だんだん飽き足らなくなってきて……。そこで、通信教育で日本語の教え方を勉強し、今度はフリーの日本語教師を始めたんです」

 その頃、プライベートでも変化があった。一緒に住んでいたボーイフレンドと別れ、一人暮らしを始めることになったのだ。家も購入し、前より切実にお金がいるようになった。
山本祐美子さん
PROFILE

フリーランス通訳
山本祐美子さん(37歳)

1969年東京生まれ。高校卒業後、ドイツに留学。現地で知り合ったイタリア人のボーイフレンドの存在と、イタリアでの労働ビザが取れたことがきっかけで、1989年、ヴェネツィアに居を移す。ブティック勤務、観光業、日本語教師などの仕事を経て、5年ほど前から同時通訳として活躍中。趣味は読書、旅行、家庭菜園。

和伊中辞典

使い込まれた辞書から
現場の緊張感が伝わってくるようだ

 必要に迫られて、日本語教師のほかにも、アテンド、観光客の送り迎え、通訳や翻訳など、仕事があれば何でもやった。一生懸命働いているうちに、同時通訳をやってみないかとの声がかかった。5年ほど前のことだ。
「同時通訳なんてやったこともないし、専門の学校に通ったわけでもない。でも、報酬の高さは魅力でした。お金につられて、やってみることにしたんです(笑)」

 初仕事は、ローマでの国際会議。しかし、そこで成功とは言いがたい結果を残してしまった。

「忘れもしない、穴あけ器の業界の会議でした。訳し続けなければいけないのに、緊張から、しばらく舌が固まってしまって……。終わったときは、顔も上げられませんでした」

 しかし、山本さんは一度の失敗ぐらいでくじけたりせず、持ち前の度胸と前向きな精神で、その後も体当たりで仕事に挑戦し、仕事から学んでいく。場数を踏めば踏むほど仕事がおもしろくなり、今では「逐次より同時のほうがやりやすい」とまで思えるようになった。まわりの評価も自然に上がり、今では各地の国際会議に引っ張りだこの存在だ。

「仕事って向き不向きもあると思いますが、それもやってみないとわからない。結局、現場でしか覚えられないものだと思うんです」と山本さんは微笑む。

 しなやかな考え方と素直な好奇心、たくましい行動力で、道を切り開いてきた山本さん。今後の抱負をと尋ねると、「イタリアにおける同時通訳の基盤を作りたい。でも、まったくちがう仕事にもトライしてみたい」と、大きな目を輝かせた。
ここが困った海外生活

 イタリアの会社って、通訳料や経費にお金をケチるところが多いんです。同時通訳は集中力を必要とするので、ブースには最低2人の通訳が入って、日本では15分ほど、イタリアでは30分ほどの交代制でやることになっているのですが、そんなルールなどはまったく無視して、「一人でやれ」と言われることもしばしば。通訳が遠方から来ると、交通費と宿泊代も必要となるので、なおさら一人でやってもらいたいらしいんです。
 交通費といっても飛行機のビジネスクラスなんかじゃなくて、ただの普通の電車なんですけど……。「そこを何とか」なんて言わないで、業界の決まりは守ってほしいですね。

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